ホノルルマラソンの設立目的と歩み、主催団体について

日本の市民ランナーにとって、「一度は走ってみたい憧れの大会」にも挙げられるホノルルマラソン。その記念すべき第1回大会は、1973年12月、心臓病の医師であるドクターJ.スキャッフ氏の提唱の下、162名のランナーが参加して開催されました。

スキャッフ医師は、「LSD(ロング・スロー・ディスタンス)、長距離をゆっくり走る事は、心臓病の予防とリハビリに非常に効果的である」という医学的な観点から、マラソン大会の開催を提唱。以降、毎年12月の第二日曜日に広大なカピオラニ公園をフィニッシュ地点にした市民マラソン大会、ホノルルマラソンが開催されるようになりました。健康維持、増進のために日常生活の中にランニングを取り入れ、最終的には自分のペースでフルマラソンを完走するという大会の精神は、フィニッシュ時間の制限を設定しない大会として今日まで継続しています。

大会を主催しているホノルルマラソン協会(Honolulu Marathon Association)は、非営利団体(NPO)で、多くのボランテイアの支援を得ながら今日まで大会を運営してきました。
現在は、協会役員7名が中心になり大会を企画・運営していますが、役員も全員ボランテイアです。現会長のジェームス S. バラハルの職業も医師です。副会長はチャン夫妻で、二人揃って年間を通して大会をサポートし、日本との窓口としても活動しています。

彼らの周りには大会をサポートすることを楽しみにしているボランテイアが大勢います。年間のべ1万人近くのボランテイアが、彼ら役員を中心に集まり、大会の準備・運営を支援しています。外から訪れる人を歓待する「アロハスピリッツ」という独特な精神がハワイには根付いていますが、ホノルルマラソンはまさにこのアロハスピリッツの精神に基づいて運営されている大会です。

日本人の参加に関しては、第4回大会に1名の参加が記録されています。その後、日本では1979年の第7回大会に向けてTBSラジオの番組で参加ランナーの呼びかけが行われ、大会当日にホノルルからライブで衛星ラジオ番組が放送される等、徐々に大会の模様が日本のメディアでも報道されるようになりました。(ホノルルマラソン日本事務局の前身組織が設立されたのもこの頃です)1989年よりTBSテレビで、“スポーツドキュメンタリー番組”としてホノルルマラソンの特別番組の放送が開始され、日本の市民ランナーの間にもこの世界有数のリゾート地で開催されるホノルルマラソンの素晴らしさが徐々に理解・認知されるようになり日本からの参加者も急速に増えていきました。

日本からの参加ツアーに関しては、ランニング雑誌「ランナーズ」がホノルルマラソンツアーを催行したのが始まりです。そして、1985年 日本航空が大会協賛すると同時に、各旅行会社にツアー企画を呼びかけ、それをきっかけに日本からの参加ランナーが一挙に増加、1995年には過去最大の21,727名が参加ました。2007年に東京マラソンが開催されるまでは、日本人ランナーの参加数が最も多い大会は、実は日本ではなく、海外のハワイで開催されている大会だったのです。そういう意味でも日本の市民マラソン大会の発展に、ホノルルマラソンは多大な貢献をしてきたといえるでしょう。

一方、国内では、ホノルルマラソンの楽しさを日本の大会でも実現することを目的に、日本では唯一のホノルルマラソン姉妹提携レースとして、神奈川県三浦市で1981年に「三浦国際市民マラソン」が創設されました。近年は毎年3月第一日曜日に大会が開催されて、ホノルルマラソンとの友好交流が図られています。

ホノルルマラソンは、地方自治体や公的な組織から物理的・財政的な支援等を受けている、多くの日本の市民マラソン大会と比べると、その運営状況は大きく異なります。ホノルルマラソンの開催には、多くのボランティアの力を借りてもなお、多大なコストがかかります。それを支えているのは参加ランナーの皆様のエントリー料と協賛各社のスポンサー料で、公的な資金は一切使われていません。

 

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